シルクロードのトップページへ旅行記トップに戻る

 シルクロード  仏教遺跡を巡る旅

第4話 7日目 敦煌 莫高窟 夜光杯工場見学 8日目 蘭州 炳霊寺石窟 西安へ
7. 7日目 2016年8月30日(火)

 ツアー一番の目玉ともいえる莫高窟を見るため、ホテルから近いが早めに行って良い席をとるべく8時前にホテルを出た。僅か20分で入り口に着くと言っても窟そのものではなく、大きな建物「莫高窟デジタル展示センター( 莫高窟数字展示中心)」である。そこで敦煌の歴史の映画を見て、次に360度見える映画館の方に移動して莫高窟の三次元?映画で予備知識を得ることがコースとなっている。360度とは言うが、人間の目はせいぜい180度程度なのでわざわざ頭を天井に向けたり後ろを見たりしなければ、全部は見られない。レシーバーが利用でき、映画は日本語訳で聞くことができるのは、便利である。
 敦煌と言えば「敦煌学」という言葉まで生まれた敦煌文献の発見である。1900年、莫高窟の第16窟の中にいた道士・王圓籙が崩れ落ちた壁の中に四畳半ほどの空間(耳洞)があることを発見し、その中に封じられていた大量の経典・写本・文献を発見したことが、ことの始まりで、大量の貴重な資料が各国に散逸することになった。しかし、情報交換により現在は研究が進み、敦煌学とまで言われる一分野を作っている。教典のサンスクリット語版、チベット語版など西域の言語のものも多数あり、学術的価値が高い。
 映画を見た後、シャトルバスに乗って実際の莫高窟へ向かう。見学は、有名な莫高窟のシンボル、第96窟の九層楼(写真左)から始まった。井上靖の小説『敦煌』の題材となっている。この16窟、17窟は一般公開で見られた。
当然ここでも記念撮影を行った。因みに九層の内、屋根は2層で残り7層は庇である。シルクロードに傾倒した平山郁夫画伯が「敦煌の恋人」と言わしめた莫高窟屈指の美菩薩57窟の「説法図」観音菩薩像(右図)も見学できた。唐代の美人が絵から偲ばれるが、全体としてふくよかなスタイル切れ長の目の容貌である。その他唐の時代の浄土思想が広まったことと符号する阿弥陀仏の西方浄土の経変図などの変相図も見られた。
 その他莫高窟で印象深いのは、伎楽飛天や飛天の絵が多く見られたこと。五弦の琵琶は正倉院に伝わっている。敦煌の市のシンボルが反弾琵琶飛天にもなっていて、これらの像や絵が土産として売っている。飛天は体の線が細く、翼はないが空中を飛んでいる。その姿はいかにも軽やかに雲のように漂っているように見えた。石窟を多く見て、写真も撮れないのでここまできたらほとんどどこに何があったかあいまいとなってしまったので、仏像・壁画の話はおしまいとする。メモをきちんととらなかったためどちらの窟だったか不確かだが、皇帝だったか、高位の男性と漢民族でない女性との姿が描かれていた。女性は髪形も違い、化粧のひとつとして両頬に小さな絵を描いていた。今なら、サッカーの応援で日の丸を書くようなものである。これは貴族の女性の化粧方法だそうで政略結婚だったと。政略結婚は古今東西どこにでもあるような話である。三尊像や五尊像で脇侍として迦葉と阿難の像が見られたが、阿難は若く、長老の迦葉はそれらしく現実的な顔で掘ってあると感心した。日本で仏像を見ていてもそういう細かいところまで気づかなかっただけなのかも知れないが。
 莫高窟の見学を終えて昼食その後、夜光杯の工場見学と銘打っているものの、事実上は夜光杯を中心としたみやげ物屋に立ち寄る。夜光杯を作る原材料は、固い玉である。玉を丸く刳り抜いて更に中を刳り抜きガラスのコップより薄い位まで研磨して出来上がる。いいか悪いかは2つのポイントがあり、1つは玉の硬さで原石(玉)をぶつけると金属的な音がするが、高音のいかにも金属的な音がする方が高級である。安い方は石のような鈍い音になる。もう一つは、色であり透かして緑に見えるものがいい。特に半透明のような部分もあり、光を通す。ここに酒を入れて月明かりに差し向けると杯が光るように見えるので、「夜光杯」(左図)の名がついたという。酒をほとんど飲まない私には余り興味ないが、ほとんど土産を買ってないし記念になるかと杯の形でなく湯飲みのような形のもの1組をしばし値段交渉して特級品の1対を半値近い1万円で買った。
 夜光杯の店を後にして、ホテルに入り再び夜行列車に備えて、前回と同じく男は1部屋に5,6人入り交代でシャワーを浴びる。今回はまだ回りは建築中のところもある新しいホテルで、ちゃんとお湯は出た。シャワーを終えて、夕食を早めに摂って、7時頃敦煌駅に着く。今度は8時敦煌始発でゆっくりと乗車できたし、時間も早いので同室の学生たちと我々は最後尾の車両だったので、全部見て回ろうと狭い通路の人を避けながら前へ前へと進んだ。
 途中軟臥の車両もあり、先生、社会人たちに軽く挨拶して通過、食堂車は3つ区分されていた。余り区分の基準が分からないが1つは飲み物などのカウンターがあり、真ん中がいわゆる食堂車でもう一つも見かけは食堂車のように座席があった。客も乗務員も少なかった。そこを過ぎて少し行ったら、カーテンが降りており、この先通過不可となっていた。やむなく戻り、食堂車のところでカウンターにはワインなどが少し置いてあったが、メニューにはビールもあったので女性の乗務員にビールを頼むと缶ビールがでてきた。15元/缶だった。最後部の自分たちの席に戻り、干し葡萄や学生が持っていたスナックなどをつまみに色々話をする。我々の3段ベッドは4人が私を含む学生で、一番上は片方がガイドの董さんで、もう一つは若い中国人の女性だった。一人で通路にあるいすに腰掛けていた。その内、白井さんを呼びに行って彼が地元の安いワインとつまみなどを持って加わった。消灯時刻の前に学生が若い女性に声をかけワインを少し勧め、ちょっとの会話。彼女は学生で21で、敦煌に住んでいて蘭州のどこかに行くという話しをして、自分のベッドに上がっていった。星が見たいなというような話が出て、カーテンを開けると夜空に満点の星が輝いていた。

8. 8日目 8月31日(水) 蘭州 炳霊寺石窟 西安へ

 6時半起床で、列車内でトイレ、洗面を済ませ、7:45蘭州駅に到着。今日は夕方西安行きの飛行機に乗るので時間が厳しいと、駅ではトイレタイムもなくトランクを持って大通りに出て待機していたバスに乗車。朝食は車内で配られた万頭2個とヨーグルトにバナナ1本。これだけあれば普通の朝食の量は十分ある。蘭州市内はひどいラッシュアワーで、バスがなかなか進まない。高層アパート(マンション?)は古くて入居しているかどうか分からないようなのが多数見られた。一方で更に高層のマンション風な建物がどんどん作られているような印象を受けた。一部高速道路のようなものも作られているが、都内でも一部は毎朝渋滞が起きているから他人事とは言えない。黄河が流れていてそれに沿って多分世界一長い公園が作られていた。緑地と遊歩道がメインで広いところで人が集まってやっていたのは、かつてどこでも見られた太極拳ではなく、ダンスだった。今中国では、ラジオ体操でなくテレビダンスを推奨しているらしく、どこでもダンスを踊っていた。窓外に垣間見るだけであるが、比較的ゆったりとしたダンスで、社交ダンスではないのでペアになって踊るわけではない。エアロビのゆっくりみたいなものか。太極拳をやっている人たちもたった1組だけ見かけた。太極拳を習っている自分にすればなんとさびしいことか。みんなに見せてあげたいくらいだ。
(後日談 このダンスは中国政府が高齢化社会となり健康維持のために推奨していたもので、最近何かのきっかけで流行したという。ほとんどが女性で男は余り参加していないと)
 約2時間でバスは劉家峡に着いた。ここは黄河の上流である。ダムになっていて、新しくできたような立派な建物の乗船券売り場があり、そこから3艘のモーターボートに分譲して炳霊寺に向かう。約1時間の乗船。我々のボートは最終だったが、途中で先行の船を追い越した。水面は波もなく穏やかであるが、先行する船の作ったうねりに乗るとボートが大きく揺れ、窓を開けていると水が飛び込んできた。途中からうとうとしていたら、目的地に到着、我々の船がやっぱり最後だった。船を下りて船上レストランで、チャーハン中心の軽い昼食を急いで食べる。昼食を終えたら直ぐに炳霊寺に向かう。大きな山門をくぐって岩場に築かれた石の回廊を歩いて石窟のあるところを簡単な説明で通り過ぎ、最終の大仏と特別区窟のあるところまで行き、全員で記念撮影し、特別窟見学を2班に分けて、我々は最初に特別窟第169窟を、もう一つの班は最初に自由見学で交代して見学となった。特別窟には階段というより梯子を上る感じで、急な階段を慎重にジグザグに登る。最大、最古の幅26.75、奥行8.56、高さ15メートルの不規則な天然洞で約30の龕があり、西域風の石彫、石胎泥塑、泥塑の像と紅・青緑・黄を使った仏説法図などの壁画とからなり、西秦建弘元年(420)の墨書銘があると。我々は傍によって読める訳でなく多分保存のためだろうが何かで覆われているように見えた。(図右)ここには無量寿如来と脇侍菩薩が立つ塑土の三尊像がある。周囲の壁にも所狭しと塑像があったり、壁画があったりで、しかも年代が違っているものもあるらしく、仏像の歴史に詳しい人には宝庫のようであるが、そうでない者にはいささか食傷気味になる。別の窟(図左)にも古い石仏が掘ってあるが、細かくは分からないものの丸首のような通肩のものがあったり、似ているが偏袒右肩であったり、説明を聞いててもどこがどう違うとしかと理解できるほど基礎知識が不足している。特別窟見学を終えると結構時間が経った。第2班はもう下で待っている。早く下りたいがなにしろ急な梯子のような階段でそろりそろりとなる。ガイドが日本人は後ろを向いて降りる人が多いが、前向きで降りた方が安全だというので、それにならって前向きで下りた。
 特別窟の脇には、高さ27m、上半身石造、下半身泥塑の弥勒椅坐像の炳霊寺の大仏(171窟 次ページ写真)がある。あまり風化しておらずきれいだと思ったら、最近修復したようだ。我々は来た道を戻りつつ仏龕の中の仏像、仏塔などを見ていく。私は釈迦、多宝の二仏併坐像(法華経)は、唐の時代からと思っていたが、ここでは北魏となっており古くから法華経が読まれていたことが分かった。一通り見学しながら時計を見るともう集合時間間近であった。第2班は一番奥の特別窟見ているから間に合うかなと思っていたら、最後の人は駆け足で戻ってきて、帰りのボートの時間に合った。同じボートに乗って戻ったが、我々の船は結局最後に着いた。自分のせいではないが、行きも帰りも最後とはなんか貧乏くじ引いたような感じもする。バスで蘭州市内に戻り、「ラーメン(拉麺)」の元祖と言われる『蘭州拉麺店』に入る。久しぶりにラーメンが食べられると学生ばかりでなく、我々社会人(多くは隠居組みだが)まで喜ぶ。店に入ると麺を両手で延ばしてたたいて、また延ばしてという作り方をしている。これは日本でもパフォーマンスでやっているから珍しくはないが、一応本場のものを見ようと配膳台に近づくものだから、熱いラーメンができるので危ないから座って待ってくれと子どものような注意を受ける。出てきたラーメンに酢やラー油をかけ、ねぎ、香菜を入れてお好みにして食べる。牛肉がたっぷりついているが、これはヤクの肉で少し黒っぽく脂肪分が少ないが健康にはいいかもしれない。牛肉面(今は麺はこの字になっている)と書いている店が多い。ガイドの董さんが、ラー油をもってきて追加されたりした人もいて、それからは辛くて香菜の匂いしかしなかったとこぼしていた。元々スープはあっさりしていて、好みの味にして食べられるので誰にでもおいしく食べられそうだ。麺の量も日本の大盛ぐらいはあるので、夕食として十分であった。壁には麺の種類が書いてあり、日本の素麺ぐらいから5cm の平打ち太麺まで5種類位ある。麺自体は、柔らかい打ち方であった。恐らく数百円の安価な夕食を食べて、空港に向かい、8時離陸、9時ごろ西安に着き、何故か西安の空港を出たのは10時
でイルミネーションで飾られたこの旅行で一番良いホテルについたのは11時前だった。
2日間のスライドショーをお楽しみください 
ホテルから敦煌莫高窟にむかうバス内から
河沿いに見える莫高窟の一部 バスの車窓より
ここの窟が莫高窟と名前がついており、全体を代表する名になった
第96窟 代表的な9層に見える窟 中には弥勒大仏
莫高窟 外観1
莫高窟 外観2
莫高窟外観3
敦煌の代名詞?の飛天や天女
敦煌駅
再び夜行列車の旅
食堂車
食堂車を通り過ぎて車内見学
ダムの船着場 ここから炳霊寺まで約1時間の乗船
蘭州 バスで劉家峡ダムへ 黄河を堰きとめたダムを遡る
炳霊寺石窟への道
入場券を購入する合間のワンショット
ここは石窟でも露天掘り?のようになっており撮影可能
特別窟はこの急な階段を登る
蘭州名物の牛肉面を食べる
牛肉はヤクの肉 おいしかった 元祖ラーメン?
再び機上の人となり西安へ飛ぶ
西安空港
今回最高級のホテルに泊まる
前のページに戻る このページのトップへ 次のページへ